歴史を紐解く!聞き流し偉人伝

歴史を紐解く!聞き流し偉人伝

「人から紐解く、ドラマチックな世界史」をコンセプトに ・ファンタジーではなく生々しい ・学問ではなくエンタメとしての 心揺さぶられるストーリーとしての世界史をお届けします!(したい!) 歴史好きの社会人2人がゆるゆるおしゃべりしています。 少しでも面白いと思っていただけたら、チャンネル登録やフォローお願いします! ▼下記からサポートのご参加を頂けますと幸いです! https://www.patreon.com/c/ijinden/posts ▼番組への感想やご意見はこちらからお願いします! https://forms.gle/pBpM7Zgs2BskExmJ7 【週5投稿】 平日18時にアップします。 Hosted by 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai) BGM:We_are_Friends! カバーアート作成:ynamnemsc様(instagram→https://x.gd/u0tON)
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エピソードの概要

聞き流し偉人伝では、チャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。 ・サポーター限定配信 ・活動進捗の共有配信 ・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定) を返礼として用意しています。 3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ聞き流し偉人伝をサポートいただけますと幸いです。 ▼下記からサポーター登録いただけます! https://www.patreon.com/c/ijinden/posts ▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちら https://kikinagashi-ijinden.web.app/ 少しでも面白いと思っていただけたら、フォローやレビューをいただけるとモチベーションになります! 平日18時に更新中。 Hosted by 安藤 and 那須(⁠https://twitter.com/nasutokai⁠) ※内容は諸説あります

エピソード

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#725【ガリレオ・ガリレイ】雑談回!ガリレオ・ガリレイから得た学びについて語ってみた

聞き流し偉人伝では、チャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。 ・サポーター限定配信 ・活動進捗の共有配信 ・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定) を返礼として用意しています。 3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ聞き流し偉人伝をサポートいただけますと幸いです。 ▼下記からサポーター登録いただけます! https://www.patreon.com/c/ijinden/posts ▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちら https://kikinagashi-ijinden.web.app/ 少しでも面白いと思っていただけたら、フォローやレビューをいただけるとモチベーションになります! 平日18時に更新中。 Hosted by 安藤 and 那須(⁠https://twitter.com/nasutokai⁠) ※内容は諸説あります

02 11月 2026
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#724【ガリレオ・ガリレイ】軟禁生活の中で書き上げた最後の大著!ガリレオが近代物理学に残した功績

本日のテーマ:「ガリレオ最後の大発見!軟禁生活の中で生まれた近代物理学の原点」 裁判で地動説を撤回し、自由を奪われたガリレオ。しかし、彼は研究を諦めていませんでした。晩年に取り組んだのは、地動説ではなく「物の強さ」と「物の動き」の研究。その成果をまとめた最後の著書は、後のニュートンにもつながる近代物理学の土台となります。ガリレオの晩年と、後世に残した功績を振り返ります。 👇今回の見出し👇 裁判後の軟禁生活/愛する娘との別れ/ガリレオ最後の研究/巨大な生き物と骨の強さ/物が落ちる速さの研究/投げた物が描く放物線/失明後も続けた研究/1638年の著書の出版/ニュートンへの影響/1642年のガリレオの死/1992年の教会による過去の見直し 👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇 ①軟禁生活の中でも研究を諦めなかったガリレオ 1633年の裁判後、ガリレオはフィレンツェ近郊の自宅などで軟禁生活を送ることになりました。さらに1634年には、親しくしていた娘が亡くなるという悲劇にも見舞われます。それでもガリレオは研究を諦めず、長年取り組んできた新しい本の執筆を続けました。 ②物の強さと動きを研究 ガリレオが最後に取り組んだのは、地動説ではなく物理学の研究でした。物を大きくすると重さと強さの関係がどう変わるのか、物が落下するときや投げられたときにどう動くのかを研究しました。こうした成果は、後の科学者たちが物の運動の法則を解明する重要な土台となりました。 ③失明しても完成させた最後の著書 晩年のガリレオは視力を失いましたが、弟子たちの協力を得ながら研究を続けました。1638年には、物の強さや動きについてまとめた『新科学対話』がオランダで出版されます。地動説を扱った本ではありませんでしたが、近代物理学の発展に大きな影響を与える重要な著作となりました。 ④ガリレオの死と後世に残した功績 1642年、ガリレオは77歳で亡くなりました。彼の研究は後にニュートンらへと受け継がれ、近代科学の発展につながっていきます。また、1992年にはローマ教皇がガリレオ事件を振り返り、当時の教会側の判断の誤りに言及しました。ガリレオの功績は、亡くなった後も長く評価され続けています。 ■ 関連年表 1633年:裁判後、ガリレオが軟禁生活に入る。 1634年:ガリレオの娘が亡くなる。…

30 10月 2026
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#723【ガリレオ・ガリレイ】「それでも地球は動く」は言っていない?ガリレオが裁判で下した苦渋の決断

本日のテーマ:「それでも地球は動く」は言っていない!?ガリレオ裁判と沈黙の理由 ガリレオの有名な言葉「それでも地球は動く」。実は、本人が口にしたという確かな記録はありません。1633年、地動説をめぐって裁判にかけられたガリレオは、自らの考えを撤回することになります。なぜ彼は地動説を捨てると宣言したのか。そして、あの名ゼリフはどこから生まれたのでしょうか。 👇今回の見出し👇 1633年のガリレオ裁判/69歳で迎えた試練/17年前の警告/教会による取り調べ/裁判での弁明/地動説の撤回/異端の疑いによる有罪判決/自宅での軟禁生活/「それでも地球は動く」の真偽/1757年に登場した逸話/研究を続けたガリレオ 👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇 ① 633年、ガリレオが裁判にかけられる 1633年、ガリレオは教会の命令でローマに呼び出されます。問題になったのは、前年に出版した『天文対話』が、過去に受けた地動説を支持してはならないという警告に違反しているのではないか、ということでした。ガリレオは裁判で、自分は警告に従ってきたと主張しました。 ②地動説を撤回したガリレオ 裁判では厳しい取り調べが行われ、ガリレオは拷問の可能性も示されました。そして1633年6月22日、地動説を支持したことで異端の強い疑いがあるとする判決が下されます。ガリレオは地動説を捨てると宣言させられ、以後は自由に活動できない生活を送ることになりました。 ③「それでも地球は動く」は本当に言ったのか? 裁判の後、ガリレオが「それでも地球は動く」とつぶやいたという有名な話があります。しかし、裁判の記録や初期の伝記には登場しません。この言葉が書物に登場するのは、ガリレオの死から100年以上が経過した1757年のことです。そのため、実際には言っていない可能性が高いと考えられています。 ④自由を失っても研究を続けたガリレオ 裁判後、ガリレオは自宅などで軟禁生活を送ることになりました。しかし、研究への情熱を失うことはなく、その後も著作を書き続け、国外で出版します。裁判で自らの考えを撤回したガリレオでしたが、研究を続けることで後世の科学に大きな影響を残したのです。 ■ 関連年表 1616年:ガリレオが教会から地動説を支持しないよう警告を受ける。 1633年2月:ガリレオが裁判に応じるためローマに到着する。 1633年6月:ガリレオに有罪判決が下され、地動説を撤回する。…

29 10月 2026
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#722【ガリレオ・ガリレイ】16年越しに出版した念願の大著!ガリレオが再び教会と対立した理由

本日のテーマ:「許可を取ったのになぜ裁判に!?ガリレオ『天文対話』出版の悲劇」 ガリレオは教会の許可を得て、地動説に関する本を出版していた!かつての理解者が教皇となり、再び地動説について語る機会を得たガリレオ。しかし、出版された『天文対話』は教皇の怒りを買い、異端審問へとつながっていきます。許可された内容と実際の本の間に、どんな問題があったのでしょうか。 👇今回の見出し👇 1616年の警告から16年/1623年の新教皇誕生/教皇ウルバヌス8世との関係/地動説を仮説として扱う条件/神の全能性をめぐる議論/『天文対話』の執筆/3人の登場人物による対話/地動説と天動説の比較/天動説側のシンプリチオ/潮の満ち引きと地球の運動/ガリレオの誤った潮汐理論/書名と序文の修正/教皇の主張を語る人物/1632年の出版許可/『天文対話』の大反響/教皇による販売停止/1616年の警告記録/許可条件をめぐる疑惑/異端審問所への出頭命令 👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇 ① ガリレオの理解者が教皇になる 1623年、ガリレオと親交のあった人物が、新しい教皇ウルバヌス8世になりました。ガリレオはこれをチャンスと考え、再び地動説について本を書くことを目指します。教皇は、地動説を正しいと断言せず、仮説として紹介することを条件に認めました。 ② 地動説と天動説を比較した『天文対話』 ガリレオは約6年をかけて、地動説と天動説を比較する『天文対話』を書き上げました。3人の登場人物が議論する形式でしたが、内容は地動説のほうが正しく見えるものでした。また、海の潮の満ち引きを地球が動いている証拠として説明しましたが、この考えは間違っていました。 ③ 許可を得て出版したのに教皇が激怒 1632年、ガリレオは教会の許可を得て『天文対話』を出版しました。しかし、本の中では天動説を支持する人物が何度も言い負かされ、教皇の考えもその人物に語らせていました。教皇は自分が馬鹿にされたと受け取り、本の販売を止めさせたとされています。 ④ 過去の警告が問題になり、裁判へ 本の調査が進むと、1616年にガリレオが受けた警告が再び問題になります。当時、教会は地動説を正しいものとして主張することを禁じていましたが、『天文対話』はその約束を破っていると疑われたのです。こうしてガリレオはローマへの出頭を命じられ、翌1633年の裁判へとつながっていきました。 ■ 関連年表…

27 10月 2026
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#721【ガリレオ・ガリレイ】地動説をめぐる対立の始まり!教会に歓迎されたガリレオが一転して警告を受ける

本日のテーマ:「ガリレオは教会と戦うつもりはなかった!?地動説をめぐる対立と1616年の警告」 ガリレオと教会の対立は、単純な科学と宗教の戦いではなかった!当初は教会の天文学者たちから歓迎されていたガリレオ。しかし、地動説を支持し、聖書の解釈に踏み込んだことで状況は一変します。なぜ科学の議論が宗教上の問題に発展したのか。1616年の警告に至る経緯を追います。 👇今回の見出し👇 ガリレオと教会の本当の関係/1611年のローマ訪問/教会の天文学者たち/太陽黒点の発見/1613年の地動説支持/イタリア語での出版/大公家での論争/弟子への手紙/聖書と天文学の関係/聖書の解釈権/1614年の修道士による批判/異端審問所への告発/ガリレオのローマ訪問/1616年の地動説審議/ベラルミーノ枢機卿の警告/コペルニクスの著書の出版停止/食い違う警告の記録/17年後の裁判への伏線 👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇 ①当初は教会から歓迎されていたガリレオ 1611年、ガリレオはローマを訪問し、教会関係者から歓迎を受けます。イエズス会の天文学者たちも望遠鏡による観測を行い、ガリレオの発見の多くを確認しました。当時のカトリック教会は天文学の研究を支える存在でもあり、ガリレオ自身も敬虔なカトリック信徒でした。両者は最初から敵対していたわけではなかったのです。 ②科学の議論から聖書の解釈をめぐる対立へ 1613年、ガリレオは太陽黒点に関する著書を出版し、地動説への支持を明確にします。同じ年、大公家で地動説と聖書の関係が議論になったことを受け、弟子に手紙を書きました。ガリレオは、聖書の表現をそのまま天文学的な事実と結びつけるべきではないと主張します。しかし、宗教改革への対抗から聖書の解釈を厳格に管理していた教会にとって、学者が神学的な問題に踏み込むことは大きな問題となりました。 ③修道士による批判と異端審問所への告発 1614年、ドミニコ会の修道士が説教で地動説を批判します。さらに1615年には、ガリレオの手紙の写しがローマの異端審問所に送られ、問題が本格化しました。ただし、教会全体がガリレオに敵対していたわけではなく、彼を支持する聖職者や学者も存在しました。ガリレオは自らの立場を説明するため、周囲の忠告を受けながらも1615年末にローマへ向かいます。 ④1616年の警告と地動説への規制…

26 10月 2026